矛盾「これらを考え始めた時点で、お前はまんまと恐怖のスパイラルに陥ってるんだよ」

私が一番最初に出した記事のタイトルが「言い出せないことを言い出す勇気」なんですが、それを書いてから1年と半年。
その勇気は全く培われていませんでした。







怖いものが沢山ある私ですが、何故怖いのか、を探っていくと大抵「無知だから」という答えに辿り着きます。



知らないって、本当に怖い。
分からないって、この上なく絶望。










ついさっき起こった話をします。


0:00過ぎの電車に乗ってました。
席はほぼ埋まってたので、席の両端に付いている銀の棒(伝わるか?)に掴まれる位置に立つ形で。

目の前には、ドアの隅に寄っかかっている社会人女性。年は40前後に見えた。スーツをお召しになっている関係で、靴がまぁまぁな高さのあるヒールパンプス。



暫くして気づいたのは、その女性、どうやら足が痛くて痛くて堪らないという事。

その電車は日頃から割とよく揺れるので、何処かに捕まってないとよろけるし足でも踏ん張ってないと...って感じなんですが、もう踏ん張る気力も残ってないみたいで。見るからにフラフラしてました。というか、立っていられない!と言わんばかりにパンプスを少し脱いで、どうにかこうにか足が痛くない形を探してた。





「すみません、少し席詰めて頂けませんか?」




座席に近い場所に立ってる今、私が声を掛ければこの人を救えるな、と思った。思ったけど、声が出ない。勇気がない。この女性がどこで降りるのかも知らないから、次の駅で降りるかもしれないのに、と思う。眠たそうにしているサラリーマンに脊椎で「嫌です」と言われたらどうしよう、と思う。


私はこの言葉を投げかけて、"結果どうなるのか知らない、分からない"から怖かった。






怖さに勝てず、声を上げられずにいた時。突然その女性が、手すりを掴んでいた私の手を思いっきり叩いてきた。






前言撤回。怖いのはこの女性の方だ。





吃驚して即座に手を離す私。「え、何...?」という視線で私を串刺しにする周囲。叩いた事実なんて存在しなかったかのように、誰よりもあっけらかんとしているその女性。


彼女の謎行動は留まることを知らなかった。痛さを紛らわそうと足を解す振りをして私に全力でぶつかってきたり、蹴ったり、最終的にはヒールで思いっきり足を踏まれた。間違いなく故意だった。






怖かった。本当に怖かった。
何を考えているのかさっぱり分からなくて。この人が何をしたいのか、どういう思いでこの行動を起こしているのか、これだけ物理的攻撃を受け続けても1ミリも見えてこなくて、ただただ私は黙ってた。可能な範囲で避け続けながら。更にエスカレートして怒りを買ったりするのは嫌だから、刺激しない程度に嫌がった。



「やめてください」と言うのが正解なのか分からないから、怖くて黙ってた。







最寄り駅に着くまであと10分はあると絶望していた時。ふと、1人のリーマンおじ様が女性の肩をとんとん、と叩いた。
私はその時怖かったから、イヤホンから流れる音楽の音量をいつもより更に上げていて。そのおじ様がなんて言ったかは分からなかった。


でも短い会話の後、私の前に座っていた男性がゆっくり席を詰めたので、恐らく「席空いてますから。足が痛いなら座ってください」的な事を言ってくれたんだと思う。


女性はその言葉に頷きを返すわけでもなく、仏頂面でその男性を睨み返したあと、席に向かって一目散に駆けて行った。人混みは蹴散らすものって教わって生きてきたんだと思うぐらい、信じられない勢いで肩にぶつかってきた。強靭な肩...大谷翔平も吃驚...とボケる暇もなく駆け抜けて行った女性の姿を目で追うのは、やめた。只管に気分が悪かったから。怖かったから。






そうして、ようやく着いた最寄り駅で逃げ帰るように電車から降りる。怖かったと息を吐き出して、下を向きっぱなしだった顔を上げた時。少し前には、先程声を掛けてくださったおじ様がいた。最寄りが同じだったみたいだ。



「助けてくださってありがとうございました」と言いたかった。「あの、」という呼び掛けまでは何とか声が出てたと思う。けれど小さすぎておじ様には届かなかった。



心の中で何度も何度もお礼を言いながら、人混みで見えなくなるまで前をひた歩くおじ様の背を目で追う。1歩、また1歩と遠くなり、とうとう姿が見えなくなった。見えなくなった瞬間、どうして走って追いかけなかったんだろう、と自分を責めた。

助けてくれたとはいえ、見ず“知らず”の人に話し掛けるのが怖かった。










この短い時間に感じた沢山の恐怖は、元を辿れば、私が「知らない」、「わからない」と思うことに基づいている。


私がブログを始めた時もそうだった。何も変わってない。「これを言ったらどういう反応が返ってくるかわからなくて怖い。でも言いたい。だから少し安全なこの場所で勇気を振り絞ることにした」それがこのブログを始めたきっかけだった。


でも私はこれをブログの中だけで収めるつもりはなくて。ゆくゆくはTwitterで、もっと公の場で言えるぐらい強くなりたいと思って始めた。でも今の結果がこれ。思い知ったよ、自分の成長のなさを。












でも、最近平行して一つ思ったことがある。




知りすぎるのも、怖い。
ということ。






物凄く馬鹿っぽい例えで申し訳ないけど、私虫が世界嫌いなものベスト3に入るほど嫌いで。でもどうしたってエンカウントする時もある。Gとか。もう名前も書きたくねぇ。





で。
例えば1日、何も知らずに狭い部屋の中で自分が生活したとする。1日目は何事もなく過ごした。


2日目。
「この部屋、実はGが10匹ほどいます」と言われたとする待って自分で書いといて気持ち悪すぎて鳥肌立った無理(一息)。
私は絶対に何事もなく過ごせない。例えその姿が見えないとしても。1度も害を与えてこないとしても怖くて仕方がない。“知らなきゃよかった”と思う。





そう、世の中には“知った方が怖い”ことが沢山溢れてる。




家庭医療のバラエティで軽率に行われる、「これに当てはまったら貴方は致死率70%以上の○○病の可能性があります」というようなチェックシートとか。

仲良くしていた友人が自分の悪口を言っていた、という、不確定な情報だけが自分の元に届くとか。

あなたの後ろに....とか。









「知らないことが怖い」と「知るのが怖い」という矛盾のせいで、私はいつまで経っても前に進めていなかった。




例えばさっきの女性の言動理念が分かったとして、その内容が「特に意味なんてない」とかだったら私はもっと震えてたと思う。理解ができないから。特に意味がないのに、接点のない私をボコボコにしたの?訳が分からない。



そうして、「一生理解できない」 = 「一生知ることが出来ない」になり、私の中でその情報は永遠に恐怖として残る。



本当面倒くさい世界だよね。知らないのが怖いなら知るしか解決策がないのに。いくら知っても、恐怖はなくならないんだから。矛盾がこの世界に存在しなかったら、もっと平和な世界だったと思う。理屈で沢山の理不尽を解決できたはず。




だから私、何でもかんでも知ってる人とか勉強が好きな人とか、本当に凄いなって思います。そんなに知って、怖くない?って聞きたい。
質問箱に「勉強をする本質的な意味って?」って来た時、私は「恐怖を減らすため」って回答したんです。けど、本当にそれだけだったら私もっと勉強好きだったかな、って。ちょっとだけ思った。流石に言い訳くさいか。良いように解釈したな。ごめん。








そうして諸々を考えて、私が出した結論は。
直接的に怖い、とはあまり思えないんだけど...実は一番怖いのは「矛盾」なのかなって。お前が諸悪の根源。


何が怖いって、前述したけど矛盾に対して直接的な恐怖心が微塵もないこと。
文字で書いてもしっくり来ない。言われてもピンと来ない。日常に矛盾って溢れかえってて、慣れてしまってる。近い存在すぎて疑う事ができない。



自分の親が、裏で牛耳る世界一の悪党だ、と言われても「何言ってんだてめぇ」となるように。
今や誰しもが持ってるこの小さな端末が世界を支配する、と言われてもきっと手放すことをやめないように。








──────その例え、全然しっくり来なくない?私が言いたいこと皆に伝わってるんだろうか。分からない。分からないなぁ。



その時矛盾が後ろから私の肩を叩く。
ゆっくり振り返れば、にたりと笑ってこう言った。












「これらを考え始めた時点で、お前はまんまと恐怖のスパイラルに陥ってるんだよ」






嗚呼、こわやこわや。