君の話 (お知らせ有)

本題の前にお知らせ。
 
LINE BLOGサ終らしい。余計なものが全部削ぎ落とされてて気に入ってたんだけどな😞
更新頻度は高くないにしろ、多分これからも気が向いたら記事は書くと思うので、同期可能なサービスに垢移行しました。はてブロにしたのでデザインが進化したよ!やったねかわいい^o^
今後ともよければお付き合いください。
 
 
以下本題◎
 
 
 
 
 
 
 
 
三秋縋先生著作の『君の話』が大好きです。
 
 
ちょっと思うところがあって先日久々に読み直しました。当時から書き起こしたかった感想を今更だけど残しておく。感想と言いつつ8割はそれに因んだ自語りだと思うけど。
あらすじも載せますのでネタバレ注意です。
 
 
 
 

それは今から3年半程前

に、何ともなしにふらついていた本屋でジャケ買いした小説だった。
 
本を買う時、私は4つの場所を見る。
表紙、タイトル、裏表紙に書かれたあらすじ、帯。どれか2つでも気に入る要素があれば大体買うことが多い。
今回であれば、まず表紙だった。青百合を胸いっぱいに抱えた少女が淡い色合いで描かれたそれに惹かれて、私は本を手に取った。
太く巻かれた帯にはこう書かれていた。
 
 
 
「欲しかったのは記憶なんかじゃなくて、今も隣で息をしているあなただった。」
 
 
 
そのまま特別中身を試し読みすることもなく、本と共にレジに向かった。試し読みをしなかったのは、帯を見て好きな話だと何となく確信したからだった。いつもなら必ず掛けてもらうブックカバーも断って、美しい表紙を撫でながらバスに揺られて帰った。
 
 
 
それから毎晩、その本を読み進めた。
わざわざ読む時間を夜に絞ったのは、日中忙しかったからというのもあるけれど、とにかく静かな空間で読みたかったからだった。この話に昼間の喧騒は似合わないと思ったから、なるべく明るいうちに読むのは避けた。読み直した今回においても、それは同様だった。
 
自分の呼吸だけが響いている、真夜中の薄暗い自室が1番馴染んでいると思った。
 
 
 

あらすじ

物語は、記憶の改変が可能になった世界で始まる。
 
義足や義眼のように、この世界には"義憶"が存在する。
身も蓋もない言い方をすると、偽物の記憶。
他人によって創られた夢物語、幻、叶うことの無い願望。
 
 
 
 
人々はそれを、自身の欠陥に沿った内容で植え付けることが出来た。
例えば親からの愛情を受け取れず育った人間には、家族仲睦まじく暮らしていた記憶を。恋愛で苦汁を飲んだ人間には、誰もが羨むような恋人との甘い記憶を。金で苦労した人間には、夢の億万長者になった記憶を、等々。
 
 
専門のクリニックで診察を受けて、それを元に処方された薬を飲み干すだけの簡単な施術だった。
 
 
植え付けることが出来るという事は、反対に引き抜くことも出来る。
嫌な記憶、消したい過去。人間誰しもが抱えているそれらを、選択して忘れてしまえる世の中になった。同じように診察を受けて、処方された"レーテ"と呼ばれる忘却用の薬を飲むだけ。
 
 
 
 
主人公、天谷千尋は、そうして何もかもを忘れたかった。
二十歳の夏を迎えても尚、彼には輝かしい思い出がたった1つとして存在しなかった。
 
 
両親は共に義憶に依存して生きており、家庭は家庭として成り立っていなかった。母はよく千尋の名前を呼び間違え、父はよく母の名前を呼び間違えた。
何故なら母の義憶には3人の娘、父の義憶には5人の妻が居たからだ。
両親は同じ家にいながら、極力顔を合わせることを避けた。別々で食事を取り、勝手に家を空け、連絡も寄越さず帰って来る。千尋に1度として向けたことの無い優しい眼差しを、常に偽りの記憶に住む人間(作中では義者と呼ばれる)にだけ向けていた。
 
 
そんな環境で愛情を注がれる訳もなく、彼もまた大変弄れて育った。元の性格も相まって学生生活に目立った思い出はなく、友人も居らず、恋人もいなかった。濃淡のないグレーな日常だけが永遠と連なっているだけの、空っぽな人生が今日まで続いていた。
 
 
 
 
その"空っぽ"ごと、彼は消し去ってしまいたかった。
 
 
 
 
両親の離婚後、母は千尋だけを綺麗さっぱり忘れ去った。それは義憶に住む3人の愛娘を守る為だ。彼女らだけを自分の子だと認識するのに、千尋の存在はあまりに邪魔である。
そのようにして"レーテ"は基本、大事な記憶(義憶)を守る為のノイズ処理として使われる。
 
 
 
ただ、千尋の人生にはその対象すらいなかった。
つまり、なくなって困る思い出も、残って困る思い出もなかった。縁を切りたい人も、一生をかけて仲良くしたい人もいなかった。
それだけで、天谷千尋の人生がいかに空虚で灰色なものであるかは想像に容易い。
 
 
 
彼は考えた。
器があるから空白が出来上がる。虚しさが生まれる。
ならば器ごと消し去ってしまえば、虚しさも消える筈だと。
何もない、という感覚に苛まれるから辛いのだ。その認識を手放すことが出来れば幾らかマシになる。
 
20年間という空白そのものを、全て忘れてしまえばいい。
そうして限りなくゼロに近付いて、新しくスタートするのも悪くないだろう。
 
 
 
 
勿論、義憶を植え付ける選択肢もあった。
彼が消去を選んだのは、義憶によって両親に愛されなかった過去が絡んでいる。
端的に言えば、義憶を心底拒絶していた。
 
何より、自分の中で最も輝かしい記憶が偽物だなんて、あまりにも虚しい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
クリニックにて診察を終えて数日後。自宅に届いた"レーテ"を、彼は説明書も読まず一息で飲み干した。
悲しいかな、義憶の薬を服用する両親を数え切れない程見てきた彼には、説明書など読まずとも服用手順が頭に入っていた。
 
 
 
 
ベッドに横たわって目を瞑り、記憶が消えるのを待つ。
30分後の生まれ変わった自分を、ひたすら待つ。
 
 
 
 
待つ。
 
待つ。
 
 
待つ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
消えない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
どれだけ待っても、記憶が無くならない。
いつの時の自分もはっきりと思い出せる。5歳の自分、10歳の自分、15歳の自分。消し去りたかった筈の、灰色の日常が脳にこびりついて、
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ふと、記憶の中の異物に気付いた。
間違いなく、今までになかったものだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
病的な程真っ白な肌に、艶やかな黒髪。
華奢な腕は男のものとは全くの別物で、女であることをまざまざと見せつけられるようだった。
そうして彼女は、子供じみた笑みを浮かべて「千尋くん」と言った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ゴミ箱に放った説明書を慌てて取り出して読み直す。
"レーテ"ではなく"グリーングリーン"と書かれていた。
 
手違いで届いたであろうそれは、架空の青春時代を使用者に提供する義憶薬だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
果たして天谷千尋は、夏凪灯花という幻想の幼馴染を手に入れる。
 
 
義者である夏凪灯花は、勿論現実世界には存在しない。義憶の中に出てくる架空の人物でしかない。
それでも今の彼の中には、夏凪灯花を形作る数多の甘い記憶がある。これが偽物だとは到底信じられないほど鮮明な記憶が、無数に脳に植え付けられている。自分の為に作られた最強の幼馴染は、言うまでもなく千尋の好みに完璧に合致した。幻だろうがなんだろうが、恋を覚えずにはいられないくらいに。
それがまた彼を苦しめ、現実の彼を空っぽにさせた。その恋は、出会う前から続いていて、始まる前に終わっていた。
 
 
 
 
 
だから今度こそ、"レーテ"を飲まねばと思った。
埋め込まれた夏凪灯花ごと消し去ってしまおうと、酒を煽りながら決意を固めた、翌日。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「...千尋くん?」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夏凪灯花が、隣の部屋に越してきた。
 
 
 
 
 

私の話

私がこの作品を愛せるのは、主人公の倫理観にとっても納得出来るからだと思う。
 
 
 
突然だけど私は、心から通い会える『  』の特別であり続けたいし、『  』の中でなにかにおいての1番で居続けたいし、人生という長い目で見た時の『  』の相棒になりたかった。いや今もそう思ってる。大切な人が増える度、心の奥底でそんな存在になりたいと思い続けている。
 
 
 
人によっては、今の言葉を聞いて恋人を想像すると思うけど、私のそれはちょっと違う。性別はそこに関係ないし、身体の関係は求めてないし、同居してずっと一緒にいるというのもきっと私には向いてない。かといって代わりに毎日きっちり連絡を取りたい訳でもない。
 
ただ、なんとなく。
 
何となく放った一言でその人の人生を支え続けたり、どれだけ時間が経っても大事な人は?と聞かれてぱっと面影が浮かんだり、ただ二人で話しただけの時間が忘れられない記憶として残り続けたり、本気で一生終わらないで欲しいと思える時間を提供できるような。
そういう、『記憶の中だけでも永遠でいられる人』になりたいんだと思う。
 
 
 
でも、その願いを叶えるのは限りなく難しいことを、私は知っている。
人の気持ちに"絶対"も“永遠”もない。私が1番、それをよく分かっている。生きているものが必ず死ぬように、変わらない気持ちは存在しない。
 
 
 
ある時ふと「大事な人が増えたな」と感じる瞬間って皆あるのかな。
LINEを送るハードルがいつからかぐっと下がったり、インスタの親友とかTwitterのサブ垢のフォロワーが増えたり、遊ぶ計画を立てる時に当たり前に名前が上がるようになったり、傷ついてる姿を見ると目の前が真っ暗になったり。
いろんなタイミングと形があると思うけど、そういう気づきを前にした時、私は怖くなる。この気持ちも縁も、いつかきっとゆっくり消えていくんだなぁって考えちゃうから。
 
 
 
小さい頃、何処にいくにも一緒だったぬいぐるみの行方を私はもう思い出せない。幼稚園で結婚を誓った男の子は、顔にも名前にもモザイクがかかっている。あんなに毎日一緒にいたのに卒業を皮切りに切れた大事な縁が、そこらじゅうに転がっている。知らない人と知らない土地で幸せそうに過ごす姿をインスタで見かけて、いいねを押すだけの関係が私たちの終着点だった。
 
 
 
でもこれは当たり前のことであって、私が極端に薄情であるとかそういうことではないと思う。記憶は消えて、忘れていくものだから。環境や気持ちの変化で、音もなく静かに壊れていくものだから。
 
 
その当たり前が、私はどうしようもなく悲しくて、耐え難い。
だから相手が『大事な存在』に昇格する前に線引きしなきゃなって思うことがある。これ以上親しくなると後が苦しいから、一歩引いて接する時がある。反対に、関係がステップアップする感覚が心地よくてどうにもならない時もある。好きだなあ、大事だなあと思う度、自制なんて出来るわけねえだろバーーーカ!!と中指立てる時がある。
 
 
 
そんな矛盾に、ずっと苦しめられていた。
 
 
 
天谷千尋は、そんな私の弱さに寄り添ってくれた。
彼は私より遥かに臆病だった。「どうせ失うくらいなら大事なものなど要りません」の極致だった。生まれ育った環境的にも、そうならざるを得なかった。
 
 
でも彼も本当は私と同じように、『  』の中で永遠に生き続けたい人だった。
心から通い会える『夏凪灯花』の特別であり続けたいし、『夏凪灯花』の中でなにかにおいての1番で居続けたいし、人生という長い目で見た時の『夏凪灯花』の相棒になりたかった。
 
 
 
もし全てのことを都合よく考えられれば、彼はずっと楽に生きられたと思う。
それこそ隣に越してきた夏凪灯花を見た時。彼女のことを幻想の幼馴染だと思っていたけど、実際はこうして存在したんだって。俺の記憶が歪んでいただけだったんだって。昔と変わらず、灯花は永遠に俺を愛してくれているって。
そう馬鹿正直に、疑いもせず信じていれば、彼の求めていた幸せはもっと簡単に手に入っただろうにね。
 
 
 
結局彼は、自身の臆病さを一生後悔することになる。そしてその後悔をもってして読者に訴えかけていた。
例えその絆がいつか終わっていくものだとしても、怖がらずに、躊躇うことなくその瞬間だけでも全力で愛すべきだって。推しは推せる時に推せ理論と同じで、大事なものは大事に出来る時にとことん大事にするべきだって。そうしたらいつか、誰かの記憶の中で永遠になれるかもしれないって。
 
 
 
それを教えてくれただけで、私はこの本を読んでよかったなぁって思った。
 
 
もしこれを読んで思い当たる節がある人は是非この本を読んでみてほしいな。きっと私と同じように、救われる人がいると信じて。