なんて素敵にグロテスク

外出自粛生活。ただ家にいるだけなんて勿体ないので、星の数程あるやりたい事の中で出来そうなものは積極的にやろうと思って。今回は5億年前からやろうと決めてた、
「KPOPヲタク全開記事を書くゾ」編
です。
全体的にヲタク丸出し文ですが、伝えたい事や曲の感想だけは真面目に書いてますので是非。沼に溺れた憐れで醜い姿を嗤える、良い娯楽機会だと思ってください。










好きだ~~~~!!!!!!
6人組女性アイドル"Apink"が先日新曲を出しまして。1年と3ヶ月ぶりです。めっちゃ待った。グループの詳細やメンバーのことなんかも書きたいけど長いので割愛。今回はとにかく新曲の話がしたい。



前々回の『일도 없어(I'm so sick)

そして前回の『응응(%%)』、
どちらも大好きで未だに聴き続けている私。今回の曲も含めて、私はここ最近のApink3作品に終わりのない憧れを抱き、燃やし続けている。



というのも、「Apinkの強みって何だろう?」って考えた時真っ先に思い浮かぶのは"個々の歌が魅力に溢れていること"です。

私は「この曲はメボが歌うサビが良いよね」とか「この子の歌うAメロが好きなんだよね」とか、細かいパーツを気に入って1曲聴くことが多いんだけど...これはそうじゃない。全部。頭から爪先まで、一つのパートも余すことなく好きだと自信を持って言える。

歌い回しからパート割まで全く抜かりがなくて、検証してもないのに「これ以上の模範解答はないだろうな〜」と思わせてくれるApink。"一曲通してずーーーっと良いところ探しが出来る楽曲"、そんな音楽を彼女達は3回連続で拵えて来たから本当に怖い。

 


 

ところで、さっきは憧れって表現したしそれも正解なんだけど、思えば彼女たちへの思念って一目惚れの恋から始まっている。人それぞれ大好きなものがあると思うけど、どうやって好きになったのか覚えていますか?時間をかけてゆっくり根を張ったものもあるだろうし、私の様に一瞬の雷にやられた人もいるんじゃないだろうか。



『일도 없어』ではボミの、突然自分の耳をグッと引っ張られて「聴きなさい!!」と言われている様な、貫く力を持った歌声に。

『응응』ではウンジの、一際高いピンヒールで床を叩いてランウェイを闊歩している様な、自信に満ち溢れる歌声に恋をした。

今回の『덤더럼』では...誰だろう...選べないなぁ。上の2人は勿論の事、ナムジュの、喉奥からこぼれ落ちる程の艶やかさが詰まった歌声も好き。

ハヨンの、ローハニーみたいに淑やかだけど"甘すぎない"&フレーズ毎に細かく仮面を付け替える"技量"を兼ね備えた歌声も好き。

チョロンの、囁かれている様なくすぐったさを感じられる小悪魔的歌声も好き。

ナウンの、「綺麗なお姉さん」をそのまま音にしたみたいな女神を彷彿とさせる歌声も好き。

あぁ〜〜〜〜〜皆好き。抗えない恋すぎる。6人それぞれが種類の違う"女がなりたい最高の女"を歌で表現してくれてるのよ...This is saikyou LOVE.......‪( ᵕ ᵕ̩̩ )‬♡






でもApinkって、昔は清純乙女コンセプトなグループだったんですよ。大人っぽさを前面に出した曲なんて全然なかったし、いつも可愛らしい衣装を着て微笑んでた。白のカチューシャ、黒髪ストレート、パステルカラーのミニスカート。それがApinkだったんだけど、私はそれがすごくすごく嫌いだった。

だって全然似合ってない。なにもかも。





皆はピンクって聞いてどんなイメージが浮かびますか?
これは私もそうだけど、女の子らしいとか、可愛らしいとか。そういうのが多いんじゃないかなと。昔の彼女達って私からすると、正にピンクの持つイメージに閉じ込められて雁字搦めにされていた。こんなにセクシーな歌声を持った彼女達が、砂糖とハートでごってごてに飾り付けられたお菓子の家に閉じ込められていて。絶対もっと似合う歌があるはずなのに何故?って思ってた。

でも今はそうじゃない。確実に変化を遂げてる。だから本当に嬉しいの。求めてたApinkがこうして見れることに、幸せを感じずにはいられない。





さて、曲が変わればコンセプトも衣装もメイクも、そしてMVも変わる。ここ最近の3作に関して言えば、彼女達のMVは"狂気"、"グロテスク"、"ピンク"、"美"、で成り立っています。タイトルにも入れたんですけど、彼女達のはホラー的なグロではないです。ストーリーとか質感とか色合いとか表現方法とかの話。MV見ると、美しいものほど現実性が薄れていくし、狂気的でグロテスクになることをよく熟知した映像だなぁ〜って惚れ惚れするんですよね。



殺人シーンをそのまま描く訳にはいかない、ならポテトに大量のケチャップをぶっかけてフォークで一突きにしちゃおう、とか。ナイフで刺すとリアルだからピンヒールにしよう、とか。素敵なものいっぱい水に溶かして完璧な恋人をつくろうとするところとか。想像するとえも言われぬ不気味さ、気持ち悪さがないですか?



そしてこの"グロテスク"には必ず沢山のピンク、沢山の宝石、沢山の美が一緒に敷き詰められてる。私はセクシーで毒々しくて、絡めとる様なピンクを纏い始めた彼女達が好き。今回のコンセプトが「ありのままの自分を愛し、自分が見るように生きていく」であるように、一括りにピンクと言っても様々あることをもっと発信して欲しい。Apinkに似合う真のピンクをこれからも示して欲しい。

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長年活動してきたアイドルだから、コンセプトが大きく変わった事に不満を持つ人も沢山いると思うの。でも女の子の夢を極限まで詰め込んだ挙句狂っちゃった音楽、一生愛していくからね私は。


だって笑顔の絶えない女だけが可愛いの?

フリフリのスカートだけが女らしさ?

ピンクは純情の代名詞?

いいや違う。そうじゃない。

女ってもっと、グロテスクな生き物だもの。







滑稽だから演劇が好き ~劇場版『CATS』ネタバレビュー~


オチなしです。
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絶対に見ようと思っていて。見る前から「とんでもない駄作」と評判だったので、逆にどれだけ酷いのかを楽しみに見に行ったぐらいなんですけど。


これは世論の通り「とんでもない駄作」だと思う。
でも個人的にはもう一度見たい作品。








◎劇場版『CATS』がここまで不評な理由
制作発表された時点で相当な反発を食らってたぐらいなので、『CATS』が好きな人には想像容易かったんでしょうけど。そもそも『CATS』自体が映画という媒体に向いてないんですよ。
個人的に向いてないと思うところを幾つかあげてみる。


①ストーリーの奥行きが皆無
ロンドン市街ごみ捨て場。年に一度開かれる猫の舞踏会では、新しい人生を歩むことが許される1匹の猫が選ばれる。その栄えある1匹になるため、今宵ジェリクルキャッツ達は歌い、そして踊る。

話としてはこんな感じ。この数行で収まってしまう内容を2時間近くかけて追っていくのが『CATS』。
セリフらしいセリフはほぼなし、自己紹介代わりに続く猫のパフォーマンスをひたすら追っていって、1匹の猫を選んで、終わり。映画にするには流石にちょっと奥行きに欠ける。伏線とか陰謀とかそういうのもない。
何処までもミュージカル要素に力を入れた作品だから、原作自体もかなり好き嫌いが別れると思うし、何より1回見ただけでは意味がわからない。劇団四季の『CATS』を初めて見た小学生の頃、「ジェリクルキャッツって何度も言ってるけどそれ結局なんなの💢💢」ともやもやしながら帰ったのが懐かしい。

でも多分『CATS』にどういう意味もくそもない。それ以上の説明が劇中でなされていないので、そのまま飲み込むしかない。「グリザベラは死んだの?」とか「マキャヴィティはなぜ魔法が使えるの?」とか「ヴィクトリアの3つの名前って結局何なの?」とか「お前めっちゃ話しかけてくるけど名乗れよ」とか、本当気にしたら負けだから...これ...。
その曖昧さ、不透明さが、2Dにした時面白くない、に変換されてしまう気がした。



②「劇はハードル高いけど、映画なら」が引き起こしたバグ
演劇と映画って、一般に馴染みがあるかないかで大きな差があると思うんですよね。
少しズレますが、なんというか演劇っていかに滑稽か!!みたいなところがあると思っていて。いきなり歌い出したり踊り出したり。それが良さだけどそれが嫌という人もいる。そしてその滑稽さは演劇だから許されるのであって、映画で表現する滑稽さとは全く違う。
ところで、気になってた演劇作品が¥1000ちょっとで見れるんだ!ってなったら見に行くよね〜うんうん。でもそれがやっぱり危険というか、酷評が集まった要因でもあるのかなと。
何件かレビューを読んだ中で、「映画、人間が猫に化けてるのが気持ち悪い」みたいなのがあってびっくりしちゃった。え、そこから!?みたいな。それは原作からそうなのであって、もう映画云々関係ないやんそれは『CATS』そのものに対するものやん...と思ったり。永遠に歌い続けていて訳が分からない、とかもあった。ミュージカル作品だからまぁ多少はそうでしょうよ。逆に私は、映画用に付け足したセリフの方が気になってしまった。
そこで私は思ったのです。演劇の滑稽さってやっぱり一般にはウケにくいのかも、と。演劇と映画の溝は思った以上に深いのかも、と...‪( ᵕ ᵕ̩̩ )‬

つまりこの作品は現時点で、原作を好きな人も原作を知らない人も楽しめないという結果に。



③カメラで追いかけるという愚行
これだけセリフのない作品をフレームで切り取って追いかけちゃうのは...もうどう考えても駄目でしょう...。
音楽番組とかでもよく思うんですけど、ダンスが見たいのに只管顔のアップとか映されてご覧なさいって話ですよ。ソロの見せ場だからって1人をアップで映すというのも然り。ヴィクトリアが猫達の合間を縫って華麗に舞うシーン、カメラで追っちゃったらどれだけ激しく動いてるか伝わらんやないか!!!と不満爆発。
エキストラの扱い(映し方)も演劇と映画で全然違うから、そういう所もいまいち納得いかなかった。でもしょうがないのよね。演劇を映画にしたんだから。そうなっちゃうのよね。

『CATS』をよう知らん人でも聴いたことがあるであろう、グリザベラ「memory」の名シーン。あそこも顔のアップで残念だった。でもそれが映画。逆に全身映るぐらいの引きで撮ってる方が違和感でしょうね。だからこそ『CATS』はとことん映画化に向いてなかった。



アレンジは原作ファンの反感買わん?
ラムタムのキー変更とかまではまぁ、まだ分かる。デュトロノミーが雌猫になってたのは大丈夫なんですか?ミストフェリーズが結構気弱な性格だったり、ボンバルリーナの見た目が全然違ってたり...いやファンが良いならいいんですけどね!!良いって言ってるレビュー1個も見てないけど。





◎何故もう一度見たいのか
簡単な話、私が『CATS』にわかだからです。多分この映画を1番楽しめる人は、『CATS』をそれなりに知っていて、でもガチガチにこだわりがあるわけでもない人。凄く中途半端な層は食べれる気がする。でもそこに『CATS』本来の魅力が詰まってるかは別ですけどね〜ガチファンから見たら今すぐにでも上映打ち切って欲しいだろうなぁ。
ヴィクトリアの別名を探してる時のダンスシーンとか、もう映像で見たら謎構成、謎時間、謎アングル過ぎて最高に虚無を誘う感じで面白かったので、そういった意味でももう一度見たい。あと純粋にバレエのモーションは凄く綺麗で見てて楽しかった。

あと劇中歌、元々はジェリクルソングスが好きだったんですけど、テイラー書き下ろしの『Beautiful ghost』が凄く良かったので、別個で褒め倒したい。ヴィクトリアVer.とテイラーVer.とあります◎

↓Jellicle songs for Jellicle cats
↓Beautiful ghost / Victoria Ver.
↓Beautiful ghost / Taylor Ver.

人助けだと思っているのは自分だけかもしれない

さっきあった話。まだ手が震えてる。




21:00頃。電車での帰り道。友人と2人で乗り込んだ車両には、大号泣する小さな女の子が乗っていた。多分...まだ保育園に通ってるぐらいの小さな子。泣き喚く子供に遭遇することは、公の場だと珍しくない。この時は「どうしたんだろうね〜🥺」ぐらいの気持ちで流していた。他の乗客も、気になるようでちらちら見てはいるものの、特に声をかけるなどはしていなかった。



ただ、どうにも泣き方が酷い。かなりヒートアップしていて、収まる気配もない。こんなに泣いてるのにお母さんは何をしてるの?と思ってよく見ると、扉の傍で完全に塞ぎ込んでしまっていた。床に這い蹲りながら暴れる子供をしゃがんだまま時々引っ張って、でもそれ以上に何かすることはなかった。多分、しなかったというより出来なかったんだと思う。見たところ、私達が電車に乗り込むずっと前からこうだったように思えたし、もう八方塞がりだったのかもしれない。凄く凄く心細くて、怖くて、どうしていいのか分からなかったのかもしれない。



流石に不味さを悟って、2人の元に駆け寄った。突発的に動いてしまったけど友人も後を追って来てくれて、2人で「大丈夫ですか?」とお母さんに声をかけた。私たちの声に、お母さんは伏せていた顔を上げて「すみません」と涙ながらに返した。その顔を見た途端頭が真っ白になって、兎に角救わなければという一心で子供をあやした。



子供なんていつもは怖くて近づかないから、当たり前だけどあやし方なんて知らない。それでもやらなければと必死だった。噎せる勢いで叫び続ける子供の背中を揉むように撫でて、「辛いね」「苦しいね」「電車乗れて偉いね」「早くおうち帰りたいね」と語りかけ続けた。ボロボロ涙を流す子供の顔をこんなに近距離で見たのは、正直私の記憶上これが初めてだと思う。なんというか、胸が痛かった。



少しずつ落ち着いてきたのか、1分としないうちに子供は泣き止んだ。お母さんに「どちらで降りられるんですか?」と聞くと、頭をフル回転させている顔で降りたい駅を答えてくれた。逆方向だと教えてくれた友人の言葉を聞いて、次に止まる駅で2人は降りていった。「すみません」「ありがとうございます‪」をひたすら繰り返すお母さんの姿が痛々しくて、2人で「お気を付けて」と手を振って別れた。



扉が閉まる直前。お母さんは再びホームにしゃがんで、子供に「ごめんね、本当にごめんね」と辛そうに呟いていた。







思うことは本当にいっぱいある。
あの子が何故あんなに泣いていたのか私は結局分からなかったし、お母さんがああなってしまっていた理由も分からない。具合が悪かったようにも見えたし。
あれだけ沢山の人が周りにいて誰も助けなかったのかな、とも思うし、私も善人じゃないので傍観者で終わっていた可能性の方が高かったと思う。
友人に「人助けすごいね」と言ってもらって嬉しかったし、私も人助けのつもりでやった。でも「勝手に自分の子供に触られるのが許せない」なんて内容の呟きもよく見るし、それは共感を呼んでいるから私のTLに回ってきているわけで。



良かったのかな、これで、という気持ちが残った。
「触っても大丈夫ですか」と一言付けるべきだったかなとか、お母さんのことももっと気遣うべきだったかなとか、そもそも全部迷惑じゃなかったかなとか。



私は生涯子供を産まないと決めているので、世の母親の気持ちが分かる日は来ないと思う。今日これを体験して、より母親になるのは恐怖だと思ってしまったし。だからこそ、もう周りの目とか構ってらんねぇな、という気持ちも芽生えた。突然絡んで不快な思いをさせたかもしれないけど、あの恐怖の中に2人を置いていく事の方が私は嫌だった。見て見ぬふりをしたら、お母さんは終点まで冷たい視線に晒されながら塞ぎ込んでいたのかもと思うと、もう堪らなく怖い。母親は公の場であらゆる恐怖と戦っている気がした。



あの後、2人はちゃんと帰れたんだろうか。
これからまた反対方向の電車に乗って帰るんだ、と、別れた後想像したら辛かった。ちゃんと帰れてますように。

私が映画を好きになれない理由~劇場版『殺さない彼と死なない彼女』ネタバレビュー~

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先生、映画化本当におめでとうございます‪( ᵕ ᵕ̩̩ )‬♡



⚠︎以下ネタバレが大いに含まれています。
⚠︎良くも悪くも脳直に書いています。
⚠︎余談が大いに含まれています。









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半分ぐらいは当たってたかな、という感想。







◎絞りに絞られた的
まずこの作品は、原作をまるっと1冊読んだことがあるファンでないと見るべきではないと思います。意図してかせずかわからないけれど、そういう作りになってるなぁと感じました。1から10までとにかく原作再現に重きを置いて映像化されてるからです。

ツイートでも書いたけど、かなり日常的な一幕を4コマで区切っているのが原作。派手な起承転結を描いてるのではなく(後半はかなり急スピードで話が動くけど)、誰にでもあったような場面の中でキャラクターが動きます。だから原作知らん人が見たら2時間永遠に「は??」みたいな感じになるんじゃないだろうか。大きな山谷もあまりなければ、自己紹介やキャラクターがどんな性格なのか、どんな関係性なのかも説明がありません。見ていく中で感じろ!というスタンス。

キャラクターの殆どが学生だから舞台の大半が学校だし、やっぱりちょっと文化祭感は拭えなかった。だから何故この作品が映画化として許されてるのかと聞かれたら、「とにかくファンの為に作ったから」というのが真実じゃないかと思う。原作を知っているからこそ分かる質感、キャラの完成度、空気感。ファンだから許せるしのめり込める、演出に理解出来る。そういう作品だった。でもそれが正解だと思う。一般受けを狙う必要なんてどこにもないから、要所要所から原作リスペクトが窺えたのが凄く嬉しかった。

だからといって映画を見てから原作を買うのはやめた方がいいです。というかやめてください。この作品のイメージのベースがこっちになってしまうのは...うーん、勿体ない。皆がどうか知らんが私は凄く嫌。この作品を頭空っぽにして絶賛出来ない理由はそこにある。やりたかったことは伝わってくるけど、やっぱり実写化の限界?壁?を感じてしまったこと。

因みに以下はHPにあるプロデューサー今安さんと監督小林さんのインタビュー抜粋なんですが、私はこれを読んでひっくり返りました。「映画化出来そう」って思えるんだこの作品...という。素人には分からない感触だろうなぁ。
今安P:
2017年3月に原作が出版されてから、すぐに小林監督へ「こんな漫画があるんですが、どうですか」と送りました。WEB上で公開されていた四コマを目にしていたのですが、書籍化されたものがまた素晴らしくて「これは映画にしたい!」と。小林監督とは以前からご一緒したいと思っていたのですが、「殺さない彼と死なない彼女」はタイトルからすでにピンと来るものがあり、これを小林監督と映画化するのはいけるのではないかと思いました。監督もすぐに「これは映画化できそう」という感触でしたよね。
小林監督:
原作を読んで、映画化の可能性をすごく感じました。きゃぴ子と地味子、君が代ちゃんと八千代くんの話と「殺さない彼と死なない彼女」も併せてすべて一つの物語にしたら面白いんじゃないか、と全体の流れがすぐに思い浮かびました。一本の映画のなかで三組を動かそう、と。





◎キャラメイクが凄い
個人的に作品の中で1番評価出来るところだと思います。キャラメイクがすんごい。全員が全員かなり癖のある子達なのに、それを見事に再現してくれて感動だった。


*殺さない彼と死なない彼女
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作品の本主役。いやもう、もろ殺カレ死カノだった。原作同様鹿野がゴミ箱に捨てられた蜂を外に埋めに行くところから話が始まるんですが、そのねぇ~~~土を搔くところのねぇ~~~仕草がねぇ~~~もうすごーーい彼女なのよ。がに股。不器用。1人でなんか言って1人でふへへって笑う。それ見た瞬間から「え!?!?好きだ!!!!(?)」となった。実際色んなシーンを見ても彼女らしさが失われることはなかったし、ビジュアルまで完璧だったと思う。特にシルエット。原作の彼女の声はもう少し高いイメージだったけど、低めに喋るこれを見ても違和感はなかった。寧ろしっくりきた。

ただ上には上がいて、小坂...ちょっとえぐい。再現度が。キャラメイク男性部門優勝。Pと監督が「間宮くんにオファー受けて貰えなかったら映画化やめようと思っていた」と言っていた理由がよく分かる。彼の小坂しか知らないけど、それでも彼以外にこの役を演じる人はいないなって思うぐらい。原作にある台詞を喋ってる時も最高だけど、オリジナルで足された細かい台詞を喋らせた時がピカイチだった。大好きなイカ焼きのシーン、「うっわ人とは思えぬ食い方笑」みたいな台詞足したの大正解過ぎて頭抱えちゃった。鹿野と並んだ時の身長差まで再現してたのは流石にビビった。


*地味子ときゃぴ子
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原作きっての私の推しちゃん達。かなり期待してましたが、映画が終わった時、期待を裏切らないでいてくれて本当にありがとう...と五体投地で泣いていた。

まず地味子ちゃん、原作のボブカットから抜け出した&お顔が可愛いのも相まって、芋っぽさがあまりなかったのが好き。制服の着こなし方とかサバサバしてる所とか割と物怖じしないところとか、そういうのは原作そのまんまだった。けど、1番注目したいのはオリジナル演出。まさかの八千代くんの姉設定。八千代くんと喋ってる時の"弟相手に好き勝手する姉"の姿が描かれてるのは予想外。お菓子勝手に摘んで吠えられたり、部屋を出ていく時に扉閉めなかったり。地味子ちゃんってそんな子だったん!?という驚きが凄かった。不思議と嫌な気はしなかった。多分より人間らしくてリアルになったからだと思う。

そしてきゃぴ子。作品中キャラメイク女性部門優勝は彼女。正直予告の時点で頭一つ抜けてる再現度だと思ってた。というかオリジナル要素が少なかったのも含め最も原作に忠実だった気がする(原作より棘がなかったのはあるけどその方が良かったと思ったので棚上げ)。好きだなぁと思ったところが、彼氏の前で可愛く振る舞うシーンより、地味子ちゃんと会話しているシーンの方がきゃぴ子が幸せそうなところ。きゃぴ子ってマジで心から地味子ちゃんの事好きなんだな...って分かるのが嬉しかった。原作より百合百合しさが上がってて最高って思ってましたすいません余計でした。


君が代ちゃんと八千代くん
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う~~~~んよかった。けど、私だったらこうは作らないなぁという解釈違いを結構起こしてしまったのもあって、途中からは原作と切り離して見てた(インタビューを見るに、監督が意図的に原作と違う雰囲気で作ったみたい)。

まず君が代ちゃん。本作では先生直々に撫子というオリジナル名を貰っていました。主要キャラ6人中一番原作と違う雰囲気で作られてたキャラクターだと思ったけど、私は凄く君が代ちゃん好きだった。八千代くんに対する一途な愛を持っているっていう核が歪んでなかったから全然アリ。何より「八千代くん、好き!」のお決まりの台詞で彼女が笑う時、その笑顔が完全に原作とリンクしてたのでスタンディングオベーション。ただ、押しの弱さと包容力の強調はファンによって好き嫌いが別れるところじゃないだろうか。私は若干後者寄りなので、気になるなぁとは思った。

そして八千代くん。ん~~~~これがね~~~~なんと言いましょうか、私は今まさに"解釈違い"を見ている!という感覚。八千代くんに関しては特にオリジナリティが強いわけじゃありません。更にゆうたろうさん本人はキャスティング前から原作を読んでいたようなので、多分その時点でのズレが私と発生した。先生が一番台詞の手直しをしたのも八千代くんだと聞いているので、多分これは誰が悪いとかそういうのではない気がしている。元々静止画だったものを3次元化するとこういう障害があるよね、っていうお手本みたいな解釈違い。あと「君は」とか「〜なんじゃないかい」とか、現実的に馴染みのない台詞の言い回しが1番浮いて見えたのもちょっと残念。






◎散りばめられた驚き
文化祭感を感じた理由の中に、撮影現場の大半に見覚えがあったこともあります。しょうがないんよ、何故なら千葉で撮ってるから...ただ、自分が見に来てた映画館が撮影に使われてるのは知らなくて流石にびっくりした。尚且つそのシーンに先生がキャストとして登場しているのが1番びっくりした。何やってんすか先生!?!?!?という空気が瞬間的に映画館を満たしていました。相変わらず可愛かったです。
あと小坂のバイト先Niko and…なんかーーーいwwwwと自分の中でくそテンプレツッコミしてしまった。アパレルという時点でイメージが無さすぎて。くそかったりぃ〜って思いながら寂れたレンタルショップとかでバイトしてるかと思った。全然違った。Niko and…さんはにゃんを早々に商品化して売ってください。お願いします。






◎映画を好きになれない理由
先に纏めると、気になっている方は是非原作読んで映画館に走って欲しいと思える作品でした。観に行ってよかった。ラスト30分ぐらい?馬鹿みたいに永遠と滝涙流してたし、改めて『殺さない彼と死なない彼女』は最高な作品だなと痛感出来たので...Twitterでたまたま見つけた4コマ漫画に心奪われて、ファンになって、本も買って、カフェにも行って、ブログも読んで、遂には映画化までされるなんて思ってなかったし。幸せです。充分です。満足です。



でも、やっぱり私は映画そのものが好きになれないみたい。



私は演劇が好きだったから、作り手側の事とかも考えてしまって余計に楽しめてないみたい。制限された時間の中で物語を表現するのは大変だけど、それが上手くいってないものを見るとどうしてもがっかりしちゃう。
今回は原作がある作品だったから、その制限が目に見えてしまったのが大きい。「あぁここのシーンをカットしちゃったのか」っていうのが結構あった。特に八千代くんが「君は、僕が君の事を好きだと言っても好きでいてくれるかい?」と言った後「好きよ、大好きよ八千代くん」と君が代ちゃんが号泣するシーン。ここがなかった(というか君が代ちゃんの台詞が改変?)のが本当に本当にショックでならない...君が代ちゃんは人前で泣かない、という設定を活かせる大事なシーンなのにな‪( ᵕ ᵕ̩̩ )‬


加えて一つの話を追うのに凄く体力と気力が持ってかれる。全身でのめり込むから、さっきの滝涙の話じゃないけど相当心が持っていかれてしまった。それは良いことなのかもしれないけど"映画を楽しむ"っていう見方からは何だか外れてる気がする。もっと娯楽として楽しみたい気持ちがある。私が。


でもそれが映画の良さなのかもなと思った。感情を揺さぶることに長けた芸術ツールというか。監督やPがこの話を映画化したいと思ったのも、そういうことなのかもしれない。きゃぴ子の母が「1人でも平気よね?」という原作の台詞に「本当に」の一言を頭に加えただけで破壊力が全然違うのも映像マジック。「私はお前がいない世界なんて生きたくない」の台詞で感情を爆発させた鹿野にまんまとやられてしまったし。


怖いなぁ、と思った。
目と耳に訴え掛けてくるものは説得力があるように感じてしまう。自分が色んなものを鵜呑みにしやすい性格だって知っているから、映画は好きになれないんだと分かった。なんか気付いたら逆に飲み込まれてそうで。
この映画はその特性を逆手にとった。有無を言わさず鵜呑みにさせて、視聴者の感情を世界観まるごと繋ぎ合わせた。先生からの「全ての眠れぬ夜に捧ぐ」というメッセージが、また私の中で大きな存在になった。



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オチが見つからなくて突然終わりになりますけど、取り敢えず6人がどのコンテンツで世に出ても愛されてくれていればいいなと思いました。最後の最後で小6の卒業文集みたいな終わり方します。
どうでしたか〜みたいなリプも頂いてますが、感想のお返事はこちらをもって返させて頂きます🙏🏻

次は『さよならバイバイ、大好きだったよ。』を映画化してください~~~永遠に待ってます!!!!!!🥰🥰
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幸せでいてくれればそれで、とは言いきれない


民衆の中にあって、
真理と正義と平等のために不断に闘うこと。
これ以上に尊い生活はおそらく望み得ないであろう。
クロポキトン





ある日突然、一人の人間が滅茶苦茶な理論を押し付けて彼を陥れようとした。

小さかったはずの火種はあっという間に大きくなって、遂にはその人だけに留まらず、大切な仲間までもを燃やし尽くす程に荒れていった。マスコミがあることない事綴った記事をあちこちにばらまいて、それを取り込んだ無数の人間から害の芽が出て、立派に咲いた野次馬の花がまた新しい種を蒔いた。

暴言のどれもが確信のない自己理論であったり、価値観の押し付けだった。警察の調査や事務所の主張、仲裁機関から得られた真実はそこにないのに、皆が情報の量に負けて「そうなのかもしれない」と洗脳されていった。

擁護の声は掻き消され、目に見えて窶れていく彼らを見て心配は膨れていった。毎日毎日更新される、嘘か本当か分からない過去の悪行。骨まで食らうつもりなのか、関係ないような事まで掘り起こしてハイエナは美味しそうに彼らをしゃぶり続けた。



そして遂に、世界で最も愛してた仲間を守るため、彼は全ての責任を背負って仲間の元を離れた。



ライブのメントで「皆次も再契約するよね?」と泣きながら仲間に問うような、誰より仲間を愛している人だった。
世界中にいる沢山のファンに「僕は君達がいなければ抜け殻同然だ」「例えライブをして1人しか来てくれなかったとしても、僕はその1人のために全力で歌って踊る」と言うような、誰よりファンを愛している人だった。
誰よりも沢山ファンとコミュニケーションを取って、優しい言葉をかけてくれる人だった。仕事中もスタッフを気遣って労りの言葉をかける人だった。
直筆の脱退表明文には、「他のメンバー達は何も関係ありません。本当に素敵な人達なんです、どうか変わらぬ応援をよろしくお願いします」と、こんな時でも他人を庇うような人だった。




脱退を宣言した日から1週間。Twitterでは1日も欠かすことなく、彼が戻ってくることを願うタグの運動がトレンド入りしている。

アメリカでは16歳の男の子の呼び掛けで200万を超える資金が集まり、タイムズスクエアの巨大スクリーンに彼らを支持する広告が出された。署名活動も現在は参加者40万人を超えている。

韓国では正当処置がなされないことに対する訴えとして、事務所の前で沈黙デモが行われた。デモ実施が決定してから実行まで1日あるかないか、ぐらいの時間しかなかったにも関わらず、他国から200人を超えるファンが駆けつけデモに参加した。私の友人も居てもたってもいられなかったようで急遽韓国に飛んだ。

ロシアではファンのビデオメッセージを集めて、1本の動画‪を作成、youtubeに公開した。あらゆるファンがその字幕をつけ、さらに拡散されている。

日本でも、沢山の人が直筆のメッセージを書いて纏めたものを事務所に送っている。毎日のように、彼らを支援するタグ運動や年末に行われる授賞式の投票の呼び掛けも行っている。




数週間前まで誰もが幸せだったはずなのに。どうしてこうなってしまったんだろう。




先日、残された彼らが言った。
「もうこれ以上悲しむのはやめて。本当に。僕達は大丈夫ですから」。


大丈夫なもんか。悲しむなと言われてはい、と言えたなら最初からこんなに泣いてない。文字通り三日三晩母と2人で泣き続けたお通夜みたいな夜を過ごした人が何人いると思ってるんだ。
でも彼らがそう望むならそうするしかなく。




彼は今何してるだろうか。本当に抜け殻になっていないだろうか。テレビに映る仲間を見て泣いていないだろうか。決まって私達に「ご飯ちゃんと食べた?」と聞いていた貴方が痩せこけていないといい。暖かい布団に包まれてしっかり眠れていればいい。


私たちはこの一連の騒動についての問題定義を辞めない。彼のためでもあり、彼らのためでもあり、自分のためでもあり、私達のためでもある。この革命運動が終わる瞬間と言えば、警察から全ての情報を開示された時か、「もう本当にやめてくれ」と本人の口から言われるかのどちらかのみだ。それ以外には終わりはない。終わらせない。
だって。




別れまでどうやって愛するというの。
貴方を愛しているのよ。
愛という理由でお互いを諦めて
張り裂けてしまいそうに苦しむことは出来ない。私は。
How can I love the heartbreak , you're the one I love /AKMU




袖振り合うも多生の縁

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いつもの事ですが、TMI留置所なので死ぬ程長くなります。先に皆様への感謝を述べさせて頂いて、物好きな方だけその先の私の独り言にお付き合い下さい。











まず、主催のちぼとら。
2人にとってこのライブがどれだけ大きくて大事なものだったのか、私には知る由がありません。でも感じるに、言葉では表せない程沢山の気持ちが混ざった特別なライブだったんだろうと思います。そんな場所に私とはくを連れて来てくれてありがとう。
2人の期待に応えられたかどうか分からないけれど、私は光栄だなという気持ちでいっぱいです。「仲がいいから呼ばれた」という風にだけは思われたくなくて、少しでもライブの歯車になれたらと思って参加しました。
実際私から言えることってあんまりなくて。からくり技師の2人が、一つ一つの歯車が噛み合って動きだした"袖振り合うも多生の縁"を創り上げてどう思ったかが全てなのかなと。どういう形容詞で表現されるであれ、それが良い意味だったら良いなと思います。
本当にお疲れ様です。ありがとう。




次にスタッフの皆様。
いつも直接的に関わらせて頂く事が少ないですが、バックで支えて下さりありがとうございます。お客様の多いライブだったから、より声掛けやらまとめやら大変だったんじゃ...と勝手に思っています。お手伝いもろくに出来なくてすみません。
特にカメラスタッフのお二人には、「私のステージは写真撮らないでください!」という我儘も飲んで頂いて...‪( ᵕ ᵕ̩̩ )‬ 御尽力感謝します。
いつも自分の事にいっぱいいっぱいで挨拶に回れない事、お許しください。立ちっぱなしの方もいらっしゃると思うので、ゆっくり休んでくださいね!お疲れ様でした◎




そして演者の皆様。
発見、発見、また発見。そんなステージングばかりでした。代償にメンタルをやられましたが、素敵な音楽と沢山触れ合えて幸せでした。全員の本番ステージングを見ることは出来ませんでしたが、正直リハで十分お腹いっぱいです...
個人的にこのライブの注目ポイントとして、伴奏の幅の広さっていうのかな、個性?が凄く濃かったなと思っていて。カホンやヴァイオリンが揃った分楽器の種類が多かったし、同じピアノやギターを弾くにしても全然仕上がりが違っていて。キーボードのストリングスを使ってアレンジを入れてた伴奏を私は初めて見た。感動した。
勿論それは歌にも通じていて、拡声器で歌ってる方を見るのは人生最初で最後じゃないでしょうか笑
ところで、ステージング以外でも感動したことがあって。初対面の方が半数いましたが、こんなに積極的に話しかけてくださるライブ初めてでした。人見知り極めてる身としては本当に有難かったですしとってもとっても嬉しかったです。もっといろんなお話がしたかったな。
本当にお疲れ様でした!またどこかでご一緒出来ますように。




最後にライブに来てくださった皆々様。
もうこれしか言うことありません。来て下さってありがとうございます!!!!!!楽しかったか!!!!!!!楽しかったよな!!!!!!!!!楽しかったって言ってくれ!!!!!!!!!!!!はいせーの楽しかったーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!わかる!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
お疲れ様でした!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!








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オンボロの錆び付いた吊り橋を前に、「これ100人目で間違いなく落ちるけど今まで何人通ったか分かんないんだよね。はは、めんごめんご。渡れ」って言われてるようなライブだった。


その上、私は自分より先に橋を渡っている人を後ろから見ているんだけど、誰も彼もが超楽しそうに橋の上で飛び回ったり走り回ったり踊ったりして、余計にネジが消し飛ぶところを目の当たりにしていた。いやもうこれ足乗せた時点で落ちるじゃん、って思うぐらい不安定なそれを前にして、それでも渡るしかない。渡らなければいけない。渡りきらなければならない。そんなライブだった。








兎に角、私の中で1にも2にも"失敗できないライブ"だったんです。


ちぼとら主催のライブだったこと。
はくのピアノ伴奏最後のステージだったこと。
よりにもよって出番がてぃーくんの後、トリであるけんすけの前だったこと。
私の中では汚名返上ステージで、ライブに対して1つの区切りにするつもりのステージだったこと。
1度でいいから成功したって言えるステージングがしたいと強く思って望んだこと。
初めて3曲も歌ったこと。
nanaの方だけじゃなくて、singの方やどちらでもない方が沢山見に来るライブだったこと。
数年ぶりに私のステージを見る友人が来てくれたこと。
出演者のレベルが高過ぎて、「あいつ下手だったな」って1人だけ思われるの嫌だなって思ったこと。


大小いろんな理由が沢山積み重なって、ふと顔を上げたら見たこともないぐらい高い壁が私の前に聳え立っていました。
殴る蹴るじゃ傷すらつかないぐらい分厚いし、飛び越えるには些か骨が折れそうな、そんな壁。それが当日になって急に立ちはだかるもんだから、結構本気で焦ったし絶望してました。



何よりこんなに緊張したのいつぶりだろうってぐらい緊張してた。前日からご飯が通らなくて夕飯を抜いて、翌朝何とか少しでも詰め込んで、でもお腹が痛くて...なんて。こんなテンプレみたいなこと初めてした。人生で初めて前日から緊張したかもしれない。
そもそも私そんなに緊張しいな方じゃなかったんです昔は。フルートやってた時なんかは、大きなコンクールに出ても舞台袖で自分の気持ちをしっかりコントロール出来るタイプだった。


それなのにこんなんになっちゃって。あーあ。原因は全部私の意思の弱さ&自信のなさなので、自分が首を絞めてるんですけどね。
リハで出演者全員の歌を聴いた時、本気であ、駄目だ、これは無理だって思いました。初めて御一緒する方も多かったから余計に耐性がついてなくて、一人一人の歌の刺激が半端じゃなかった。


開演したらしたで待つ時間が長いからその間ずっと緊張しっぱなしだし、でも自分の番が来て欲しくもないし、生殺しだったな。一緒にいた人は私の「帰りたい」を多分1億回聞いてる。








でもやっぱり本番は来ちゃって。半泣きで出た。








迎えた本番、結果はどうだったかって言うと。
1曲目は大失敗。2曲目は微妙。3曲目は大成功だったかな。



1.ファラウェイ・ハイウェイ / やなぎなぎ

最近!!御結婚なされた!!私が愛してやまないシンガーやなぎなぎnana初ライブの『CONNECT』でも彼女の歌を歌いました。大事なステージではいつも歌いたくなります。
大大大好きなアルバム『ポリオミノ』収録曲は虚しくも殆どカラオケにも入っていないので、クリスさんに素敵な音源を態々作って頂きました。本当にありがとうございます...‪( ᵕ ᵕ̩̩ )‬

やなぎなぎの歌は私にとって、「難しいけど歌いやすい部類」のものが多いんです。ハマってしまえば後は早いっていう感覚。今回のライブは3曲も歌うし生伴奏曲にとにかく力を入れたかったから、比較的歌いやすい歌を選んだつもりでした。

まさかこんなに失敗するとは...

冗談抜きで全っっっっっっっっ然息が吸えなくて、歌えば歌うほど酸素が減ってった。いやいや死ぬんですけど!?って思って思いっきり吸ったら喉詰まってバグった。今までいろんな曲ライブで歌ったけど、多分1番苦しくて死にかけた。メンタル的な意味もあるけど、純粋に呼吸困難で死にかけた。溺れる、って思った。
え、今私どうなった?って時が止まってからあんまり記憶がない。頭真っ白で自嘲してる暇もなかったし、失敗して冷静になれたわけでもなく、結局最後まで仮死状態。何とかしようと思って咄嗟に「緊張してるから盛り上げて解してください🥺」ってお客様に泣きついた。ダサい。
もう平然を装う余裕とかないし、怖いし、心臓崩壊しそうだし、逃げたいし、目につくところにAEDはないし、乾いた笑いしか出なかった。

ライブでアップ歌う人ってすごいね。私には無理ということが分かった。いつも暗ーい曲ばっかお披露目してるので、こんなにステージで飛び跳ねてる私を初めてお見せしましたが、柄にもないことはやるなということです。

何より、120%楽しむ事だけを考慮して選んだ曲だったので、思うように楽しめなかったのが残念。もっと軽々歌うつもりだったのにな...





2.Farewell / TAEYEON


今回ソロでステージに立つのはnanacocoぶりだったんですが、主催から「好きな曲を歌って欲しい」とお言葉を頂いたので、前回のリベンジを兼ねてこの曲を選びました。韓国語の曲を歌うのはこれで2回目。歌う直前まで本当に選曲後悔してたんですけど(大口叩いてるけどやっぱり韓国曲歌うのって怖くて)、前回よりは上手く歌えた...気が...する...多分..................きっと..................。

元々は、別の韓国曲を歌うつもりでした。nanacocoでも歌ったBENという歌手の『180°』という曲です。じゃあ何で変えたの?という話なんですが、2つ理由があって。

1つは、テヨンが鬱病であることを公表したこと。
MCの中で、「この歌は少女時代のメンバーが歌っている」という話をしました。KPOPをよく知らなくても少女時代は名前だけ聞いたことがある。それだけ有名で、大きなアーティストなんですよね少女時代って。皆の希望であり、憧れであり、スターなんです。それは少女時代っていう括りを抜けてソロで活動しても変わらなくて。可愛くて歌がとっても上手なテヨンが私は凄く好きでした。

前々から鬱病だったと公表したのは今年の6月。思ってもみないカミングアウトだったな。素敵に笑う彼女しか知らないから。韓国芸能界の闇の深さを改めて感じたのと、その中で必死に生きている彼女の凄さを感じたのでした。同時に、どういう思いで彼女が歌を歌っているのかずっと考えるようになってしまって、その時に浮かんだのがこの曲。

これはカップリング曲だしメジャーな曲でもないんですが、初めて聴いた時からすっと馴染む感覚が好きで、私のお気に入りでした。それをもっとお気に入りなものにしたかったんです。

もう1つは、伴奏者としてのはくとお別れすること。歌詞をリアルタイムでお届けすることは叶いませんでしたが、恋人とのお別れを惜しむ歌なんですね、これ。彼は恋人じゃないので全てが全て当てはまる訳では無いですが、ところどころ私の気持ちと重なる部分があったので。私なりの彼に対する餞別でした。






3.砂金 / 黒木渚

満足しています。心から。やっと出来た。私が手放しで喜べるステージング。長かった。本当に長かった。ずっとずっとこれを目指してた。本当に記憶がなくてワンフレーズもどう歌ったのか思い出せないんですが、120%出し切れた事だけは分かる。

この曲だけで私8分使ったんですよね。8分て。
皆様も地獄のような長さの1曲を辛抱強く聴いてくださって本当に感謝します。飽きられることが何より怖かった。静かに耳を傾けてくださったからこそ成り立ったステージです。一緒に音に流されてくださって本当にありがとうございました。

久々にみっちり練習したんです。はくに最高なラストステージを捧げたくて。当の本人も巻き込む形にはなりましたが笑
私達なりにアレンジにアレンジを重ねて、1個の和音、ペダルを踏むタイミングまでディスカッションして創りました。妥協せず馬鹿みたいに真面目に作りました。その細い拘りを殺さず済んでよかった。無駄にならなくてよかった。

1番嬉しかったのは、先に捌けた私の元に演奏を終えたはくが戻ってきた時。今までで1番濁りのない「頑張ったね、お疲れ様」が聞けたことです。私だけじゃなくて、彼も満足してるんだなって分かったから。捌けて直ぐは立ってるのがやっとで壁にへばりついてたので、彼が1人でピアノを弾く姿を見ることは出来なかったんですが...無茶苦茶格好良かったんでしょう。彼の音だけに集中して欲しくて最後は1人で飾ってもらいました。






まとめてみても100点満点!とはとても言えないので自分のスキルのなさを相変わらず痛感しましたが、その分大きなものを得られたからよかったかな。
出し切りすぎて二人とも屍になり秒で会場を後にしましたが、それだけ本気で音楽やっていた事が伝われば幸いです。あまりお話出来ないまま直帰したので、感想ダメ出し等頂けたら有難く頂戴します。

これを機に私がライブに出ることはほぼなくなると思いますが、もし、また機会があればまたその時にお会いしましょう😌💜




最後に彼の貴重な長文も添えて、私の袖振りは終わりにしようと思います。長々お付き合いありがとうございました!
お疲れ様でした◎



#190817
#袖振り合うも多生の縁
#袖振り

矛盾「これらを考え始めた時点で、お前はまんまと恐怖のスパイラルに陥ってるんだよ」

私が一番最初に出した記事のタイトルが「言い出せないことを言い出す勇気」なんですが、それを書いてから1年と半年。
その勇気は全く培われていませんでした。







怖いものが沢山ある私ですが、何故怖いのか、を探っていくと大抵「無知だから」という答えに辿り着きます。



知らないって、本当に怖い。
分からないって、この上なく絶望。










ついさっき起こった話をします。


0:00過ぎの電車に乗ってました。
席はほぼ埋まってたので、席の両端に付いている銀の棒(伝わるか?)に掴まれる位置に立つ形で。

目の前には、ドアの隅に寄っかかっている社会人女性。年は40前後に見えた。スーツをお召しになっている関係で、靴がまぁまぁな高さのあるヒールパンプス。



暫くして気づいたのは、その女性、どうやら足が痛くて痛くて堪らないという事。

その電車は日頃から割とよく揺れるので、何処かに捕まってないとよろけるし足でも踏ん張ってないと...って感じなんですが、もう踏ん張る気力も残ってないみたいで。見るからにフラフラしてました。というか、立っていられない!と言わんばかりにパンプスを少し脱いで、どうにかこうにか足が痛くない形を探してた。





「すみません、少し席詰めて頂けませんか?」




座席に近い場所に立ってる今、私が声を掛ければこの人を救えるな、と思った。思ったけど、声が出ない。勇気がない。この女性がどこで降りるのかも知らないから、次の駅で降りるかもしれないのに、と思う。眠たそうにしているサラリーマンに脊椎で「嫌です」と言われたらどうしよう、と思う。


私はこの言葉を投げかけて、"結果どうなるのか知らない、分からない"から怖かった。






怖さに勝てず、声を上げられずにいた時。突然その女性が、手すりを掴んでいた私の手を思いっきり叩いてきた。






前言撤回。怖いのはこの女性の方だ。





吃驚して即座に手を離す私。「え、何...?」という視線で私を串刺しにする周囲。叩いた事実なんて存在しなかったかのように、誰よりもあっけらかんとしているその女性。


彼女の謎行動は留まることを知らなかった。痛さを紛らわそうと足を解す振りをして私に全力でぶつかってきたり、蹴ったり、最終的にはヒールで思いっきり足を踏まれた。間違いなく故意だった。






怖かった。本当に怖かった。
何を考えているのかさっぱり分からなくて。この人が何をしたいのか、どういう思いでこの行動を起こしているのか、これだけ物理的攻撃を受け続けても1ミリも見えてこなくて、ただただ私は黙ってた。可能な範囲で避け続けながら。更にエスカレートして怒りを買ったりするのは嫌だから、刺激しない程度に嫌がった。



「やめてください」と言うのが正解なのか分からないから、怖くて黙ってた。







最寄り駅に着くまであと10分はあると絶望していた時。ふと、1人のリーマンおじ様が女性の肩をとんとん、と叩いた。
私はその時怖かったから、イヤホンから流れる音楽の音量をいつもより更に上げていて。そのおじ様がなんて言ったかは分からなかった。


でも短い会話の後、私の前に座っていた男性がゆっくり席を詰めたので、恐らく「席空いてますから。足が痛いなら座ってください」的な事を言ってくれたんだと思う。


女性はその言葉に頷きを返すわけでもなく、仏頂面でその男性を睨み返したあと、席に向かって一目散に駆けて行った。人混みは蹴散らすものって教わって生きてきたんだと思うぐらい、信じられない勢いで肩にぶつかってきた。強靭な肩...大谷翔平も吃驚...とボケる暇もなく駆け抜けて行った女性の姿を目で追うのは、やめた。只管に気分が悪かったから。怖かったから。






そうして、ようやく着いた最寄り駅で逃げ帰るように電車から降りる。怖かったと息を吐き出して、下を向きっぱなしだった顔を上げた時。少し前には、先程声を掛けてくださったおじ様がいた。最寄りが同じだったみたいだ。



「助けてくださってありがとうございました」と言いたかった。「あの、」という呼び掛けまでは何とか声が出てたと思う。けれど小さすぎておじ様には届かなかった。



心の中で何度も何度もお礼を言いながら、人混みで見えなくなるまで前をひた歩くおじ様の背を目で追う。1歩、また1歩と遠くなり、とうとう姿が見えなくなった。見えなくなった瞬間、どうして走って追いかけなかったんだろう、と自分を責めた。

助けてくれたとはいえ、見ず“知らず”の人に話し掛けるのが怖かった。










この短い時間に感じた沢山の恐怖は、元を辿れば、私が「知らない」、「わからない」と思うことに基づいている。


私がブログを始めた時もそうだった。何も変わってない。「これを言ったらどういう反応が返ってくるかわからなくて怖い。でも言いたい。だから少し安全なこの場所で勇気を振り絞ることにした」それがこのブログを始めたきっかけだった。


でも私はこれをブログの中だけで収めるつもりはなくて。ゆくゆくはTwitterで、もっと公の場で言えるぐらい強くなりたいと思って始めた。でも今の結果がこれ。思い知ったよ、自分の成長のなさを。












でも、最近平行して一つ思ったことがある。




知りすぎるのも、怖い。
ということ。






物凄く馬鹿っぽい例えで申し訳ないけど、私虫が世界嫌いなものベスト3に入るほど嫌いで。でもどうしたってエンカウントする時もある。Gとか。もう名前も書きたくねぇ。





で。
例えば1日、何も知らずに狭い部屋の中で自分が生活したとする。1日目は何事もなく過ごした。


2日目。
「この部屋、実はGが10匹ほどいます」と言われたとする待って自分で書いといて気持ち悪すぎて鳥肌立った無理(一息)。
私は絶対に何事もなく過ごせない。例えその姿が見えないとしても。1度も害を与えてこないとしても怖くて仕方がない。“知らなきゃよかった”と思う。





そう、世の中には“知った方が怖い”ことが沢山溢れてる。




家庭医療のバラエティで軽率に行われる、「これに当てはまったら貴方は致死率70%以上の○○病の可能性があります」というようなチェックシートとか。

仲良くしていた友人が自分の悪口を言っていた、という、不確定な情報だけが自分の元に届くとか。

あなたの後ろに....とか。









「知らないことが怖い」と「知るのが怖い」という矛盾のせいで、私はいつまで経っても前に進めていなかった。




例えばさっきの女性の言動理念が分かったとして、その内容が「特に意味なんてない」とかだったら私はもっと震えてたと思う。理解ができないから。特に意味がないのに、接点のない私をボコボコにしたの?訳が分からない。



そうして、「一生理解できない」 = 「一生知ることが出来ない」になり、私の中でその情報は永遠に恐怖として残る。



本当面倒くさい世界だよね。知らないのが怖いなら知るしか解決策がないのに。いくら知っても、恐怖はなくならないんだから。矛盾がこの世界に存在しなかったら、もっと平和な世界だったと思う。理屈で沢山の理不尽を解決できたはず。




だから私、何でもかんでも知ってる人とか勉強が好きな人とか、本当に凄いなって思います。そんなに知って、怖くない?って聞きたい。
質問箱に「勉強をする本質的な意味って?」って来た時、私は「恐怖を減らすため」って回答したんです。けど、本当にそれだけだったら私もっと勉強好きだったかな、って。ちょっとだけ思った。流石に言い訳くさいか。良いように解釈したな。ごめん。








そうして諸々を考えて、私が出した結論は。
直接的に怖い、とはあまり思えないんだけど...実は一番怖いのは「矛盾」なのかなって。お前が諸悪の根源。


何が怖いって、前述したけど矛盾に対して直接的な恐怖心が微塵もないこと。
文字で書いてもしっくり来ない。言われてもピンと来ない。日常に矛盾って溢れかえってて、慣れてしまってる。近い存在すぎて疑う事ができない。



自分の親が、裏で牛耳る世界一の悪党だ、と言われても「何言ってんだてめぇ」となるように。
今や誰しもが持ってるこの小さな端末が世界を支配する、と言われてもきっと手放すことをやめないように。








──────その例え、全然しっくり来なくない?私が言いたいこと皆に伝わってるんだろうか。分からない。分からないなぁ。



その時矛盾が後ろから私の肩を叩く。
ゆっくり振り返れば、にたりと笑ってこう言った。












「これらを考え始めた時点で、お前はまんまと恐怖のスパイラルに陥ってるんだよ」






嗚呼、こわやこわや。